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やさしいエネルギー講座
第35回 油のことわざ~日本開国の立役者はペリーではなく油!?の巻~(2013年8月16日)

あ~暑い。こんなに暑い日にわざわざ買い物に出なくてもいいのに・・・リミーのやつめ。おっ・・・

おにいちゃん、どこ?あっいた!も~何してるのよ。

いや、今すれ違った女性の髪がとっても綺麗でいい香りがしたんだよ。

はいはい。そんなことでいちいち油売ってないで、さっさとこの荷物持って。次のお店に行くわよ。

え~まだ買うの!?・・・そういえばリミー、どうして「油を売る」っていう言葉ができたか知ってる?

えっ、どうしてって・・・どうしてかしら。

これは、江戸時代の油売りの行商人が、女性に髪油を売る時にゆっくり話し込んで商売をしたからなんだって。その他にも、油売りが器に移す油の滴が切れる間、世間話をしていたから、仕事をしているのに怠けているようにみえたのが由来という説もあるけどね。

へ~、昔の油売りは女性の髪油まで売っていたのね。

そうだよ。もちろん油といっても石油じゃなくて、菜種や胡麻、椿などの油だけどね。でも、油の大切さは、昔も今も変わらないよ。その証拠に、「油を売る」以外にも、油という言葉が入ったことわざってたくさんあるだろう?

そういえばそうね。「油を絞る」とか、「油が乗る」とか、「火に油を注ぐ」とか、たくさんあるわ。

他にも、中国のことわざで「春の雨は貴きこと油の如し」というのがあるよ。これだけでも、どれだけ人々は昔から油を大切にしてきたかがわかるよね。

第16回で人と石油の関係について学んだけど、石油の利用が活発になる前から、油の利用は私たちの生活にとって、欠かせないものだという意識が強かったのね。

そうさ。人はいつでも油を欲してるんだ。鎖国していた日本が開国したのだって、実は背景に油があったのを知ってるかい?

えっ!?日本の開国と油!?どういう事?

日本が開国をするきっかけとなったのは、言わずもがな、1853年のペリー率いる黒船の来航だよね。実は、ペリーが日本に来たねらいの一つに、捕鯨船の補給基地の確保があったんだ。

捕鯨?

米国では当時、ローソクの原料や灯りの燃料に鯨油を使っていたんだよ。だから、鯨油をとるため、捕鯨が盛んだったんだ。ちなみに、ジョン万次郎こと中浜万次郎が漁の最中に遭難した際、助けて米国へ連れて行ってくれたのは、捕鯨船のジョンハウンランド号だったんだよ。ジョン万次郎はその後、米国有数の捕鯨船の基地となっていた、マサチューセッツ州ニューベッドフォードの街で育っているんだ。

知らなかったわ!でも、確か石油開発が盛んになったのも、同じ頃じゃなかったかしら?それでも鯨油の利用が盛んだったの?

いい所に気がついたね!そうなんだ、近代的な石油開発は、米国のペンシルバニア州で鉄道員だったエドウィン・ドレークが世界で初めて石油を採掘したのが始まりだと言われているけれど、これは黒船来航の6年後、1859年のことなんだ。石油産業が発達してからは、灯りの燃料は鯨油から灯油に代わったから、捕鯨の数も少なくなり、ニューベッドフォードの街も衰退していったんだけどね。

じゃあ、もしペリーが日本に来る前にドレークが石油を掘り当てていたら、日本に開国を迫りには来なかったかもしれないわね?

まあ、一概にそうとは言えないけど・・・そういう歴史だってあったかもね。

なんだか、ことわざの話から、壮大な歴史の話にまで発展したわね。

それだけ油は奥深いってことさ!さて、さっそく色んなところで油を売ってこようかな。

って、あ~逃げたわね!
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