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第57回 (2018年12月5日)

 先日、電車で「即レスしなかった程度で失われるものを、友情とは呼ばない」との広告を見かけた。旧友を飲みに誘い、返事を待っていたところだった。今ではメールは欠かせないものだが、普及し始めたのは筆者が学生のころだった。当時はパソコンがある家など少数派で、週に数回、大学の電子計算室でメールを確認するような時代だった。世界中どこでも即座につながる今の世とは、隔世の感がある。大変便利になったが、つながることで私たちは幸せになっただろうか。いつも携帯に追われる人生になってはいないか。自分の時間の主導権を握ることができているだろうか。

 古代ローマの哲学者セネカは「われわれは人生に不足しているのではなく濫費(らんぴ)しているのである」(『人生の短さについて』より)と指摘している。セネカは、時間が足りないことの要因を他人に振り回されていることに求めている。そのメールやSNSは、今返信しなければならないのか。即レスが当たり前の空気に飲まれ、読書中でも家族の団らん中でも携帯を手放せなくなってはいないか。自分の時間が奪われていることに無頓着すぎはしないか。自分もまた、相手の時間を奪ってはいないか。古代人とは異なる方法で私たちは時間を失っている。

 1週間後、件の友人から返信が来た。勤務地が変わって都心にいないから、飲みに行けない。まったく今ごろ返事を寄こして、仕方のない奴だ。だが彼との友情はこんなことでは揺るがない。

(深水)

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