第298回 (2025年5月28日)
「この近くに、地下鉄サリン事件の毒物が一体何かを調べた自衛隊の施設があるんですよ」
先日、会社の先輩たちと野暮用にて車で出掛けたとき、40代の社員が教えてくれた。さいたま市にある大宮駐屯地のことだ。1997年生まれの筆者にとって、地下鉄サリン事件は生まれる前の話。どういう事件だったかは毎年の報道で見聞きしていたが、毒物を自衛隊が検査していたとは知らなかった。その場に居合わせていた30代の先輩2人も「地下鉄で通学していた人は親が迎えに来るまで帰れなかった。JRの友達は帰れたんだけどね」などと、当時を振り返っていた。
体験していないと語れない当時の様子があるものだな、とぼんやりしているとふと疑問が浮かんだ。「劇物がサリンと判明する前までは、どのような見出しで報道されていたのだろうか」。一目で大方の内容が分かる見出し、もしくは印象に残る単語で表現されたに違いない。「地下鉄サリン事件」には「地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件」という名称もあるようだ。個人的には前者の方が分かりやすいように感じる。
かく言う筆者はというと、見出しを付けるのが苦手だ。日刊レポートや原油の値動きを扱う「羅針盤」のコーナーで先輩記者から見出しにダメ出しを受けることがある。まだまだ駆け出しの記者にとって、一番に伝えたい内容を短く正確に分かりやすく表現するのは難しいと痛感する。感覚を養うため、2025年上半期に見合う一言を考えてみようと思う。
(櫻井)